Archive for 05 December 2005
05 December
Forgotten Flies
先週末、我が東北の友人、T・I 画伯から大型で厚く全ページカラーのフライの本が送られてきた。片手では持てません。両手でわっしっと掴まないと重くて持てません。Forgotten Flies、1999年の出版です。しばらくフライの本は開く機会がありませんでした。が、この本を頂いてぱらぱら読んでみてとても感心しました。技術革新で忘れられていく、先人の叡知を集めたフライの数々、それらを眺めていると我を忘れてしまう。フライを見てこんな境地になるのは久しぶり。自分の中で忘れていたものを揺り動かされた感じです。なにかしら懐かしい感慨を覚えます。
この本の要旨は、前書き部分を辞書片手に読んでみました。が、正確なところをT・I 画伯に問い合わせたところ、下記の明快な解説を頂きました。ここに引用させて頂きます。ありがとうございました。
ご存知かと思いますが、イギリスから北アメリカにもたらされたフライフィッシングは当時交易の拠点であったニューヨークを中心に発展し、アメリカ国内に広まります。その中、重要なフィールドとしてキャッツキルの河川が注目されました。
当時キャッツキル地域においては、マス類としてブルックトラウトしか生息せず、フライフィッシングのフィールドとして可能性を追求する人々によってイギリスからはブラウントラウトが、それ以前にアメリカ西部からはレインボートラウトが移入され、現在知られるアメリカの管理された河川の基礎がこの時代に作られることとなりました。
19世紀初頭にはこれら移入魚が、確実に定着することによりフライフィッシングの技術は確実に変化を遂げることになります。それはイギリスにおいてハルフォードが提唱したドライフライ・フィッシングに端を発し、セオドア・ゴードンによるアメリカ流ドライフライ・フィッシングの開発により、フライフィッシングというスポーツの独自性が認められることとなり、その後ウエットフライ・フィッシングは徐々に廃れていく運命を辿ることになります。
それが顕著に現れたのは1960年代に入り第二次大戦後の加速的な産業の技術革新により生み出された道具やマテリアルにより、それまでわずかな変化で留まっていたフライフィッシングのスタイルは一気に変わ ることとなり、伝統的なスタイルのフライフィッシング術はほとんど語られることが無くなってしまいました。
シュムークは様々なフィールドでの釣りを経験する中、これら伝統的なフライフィッシング術を調査していたらしく、あまりにも語られることの少ない現状を憂い、後世に残すべく出版を決めたと聞いています。
この本で紹介される5人のフライフィッシャーは、セオドア・ゴードンが提唱したアメリカン・ドライフライ・フィッシング確立前後の時代に活躍した人達で、その他にも大勢の著名人がいる中、独自のスタイルを 提唱したということで選択されています。ただし、チャールズ・デフェオはその才能を自ら世に知らしめた訳ではないので、シュムークの独断(彼の尊敬するフライフィッシャーの一人だそうです)と言え、少し意味が違っているかもしれません。
本中、レイ・バーグマン、メアリー・オービスの二人のフライは現代の 研究者によって巻かれたもので、前者はドン・バスティアン、後者は ポール・ロスマンによるものです。(双方とも現代的なタイイング・スタイルになっていますが、その基本は当時のスタイルに忠実であり、完成度の高いフライだと絶賛されているそうです)その他のフライに関しても一部は現代のフライタイヤーが巻いたものがありますが、それは説明書きに明記されているはずです。
ってな訳で、わかったようなわからないよう・・・?説明かな。
現在、古典を紐解ける研究者は激減しているので、彼のような存在は大事でしょうね。